2018-10-12

自分には何も無いと思っていた話【1】

陰転話を書きます。笑

こんにちは、西洋占星術と四柱推命で鑑定・講師をしています やなかえつこです。

今日は、自分が陰転していた10数年間とそこから浮上した話を書きたいと思います…!

と言いますのも、先日開催したイベントで「陰転から浮上した話」をする機会があったのですが、ま る っ き り 話 せ ま せ ん で し た …!

正官-印綬のプライドが非常に高い星のコンビが邪魔してか、印星の秘密主義か、はたまた冠帯の弱みを見せたくない強がりな部分なのか、

人前で自分の話をするのがすーっごく苦手でして(と言いますか、そもそも自己開示が苦手)、イベントで話す予定の内容は、事前に文字起こししていたのにも関わらず、当日は端折りまくってゴニョゴニョお茶を濁し、参加してくださった方にも全く伝わらなかったと思います。

そんな反省から、今日はしっかり書きます…!

そもそも陰転とは

さっきから、陰転陰転言っていますが、陰転とは、

 星の悪いところが出てしまい、物事がうまく行きにくい状態 】です。

つまり、自分らしさが出せず、むしろひねくれて悪いところばかり出てしまっていることを言います。

そうなると、周りの星にも悪い影響を与えて、人生全体が鬱々してきます。

私の陰転10数年間

私が陰転していた10年間は、今から2年前までの「結婚してからの10年間」を指します。

結婚してからの私はすぐに会社をやめ、妹とインターネットショップなどをやっていたのですが、夫に養ってもらう気満々で遊びの延長でした。ほどなくして、そのネットショップもたたみ、子どもができるまでの3年間は派遣社員などをしながら悠々自適に暮らしていました。

最初の子どもができ、子育てが自分の人生の中心になりました。

初めてのことだらけで、正直、自分が大変なのかどうなのかも分からないまま時間が過ぎて行きました。

「ちゃんとやらなくちゃ病」にかかる

2人目・3人目の子どもに恵まれ、可愛くて大切な子どもたちに囲まれて毎日を過ごしていたのに、私はいつもイライラしていました。夫に愛されていない、と感じていました。「自分だけが大変だ」とも。

まず根をあげたのは私の中の【比肩】【正官】でした。

【比肩】は自立の星の1つで、一人の時間が必要不可欠なのです。

【正官】はルールを守って、きちんとやりたい星です。

子育ては、四六時中…というか24時間子どもと一緒です。むすこがまだ一人だった頃は、実家に週に一度は帰って甘えさせてもらっていましたが、幼稚園に入ったりすると気軽に泊まりに帰ったりも出来なくなり、下の子も生まれ、なかなか息抜きが出来なくなりました。

下の子の一時保育などの利用も考えましたが、住んでいた場所の保育園事情が激戦区だったため、上の子の幼稚園行事のために下の子を預ける時も、受付時間ぴったりに電話をかけ続けて運良くつながれば予約が取れる、、そんな状況でした。

今思えば、全て背負いこんで、全て完璧に、全部自分でやらなくちゃいけないと思っていました(完全に正官が陰転していました)

謎の劣等感

そして、結婚当初から思っていたことがありました。

「稼いでいなくて申し訳ない」

謎の劣等感です。

稼いでいない自分は夫と対等で無いと思っていました。本気です。

家事育児を今で言うワンオペで平日こなしていながら(夫は仕事で毎日深夜帰りです)、ずうーっと「稼がなくて申し訳ない」と思っている自分。

それでも実際には「働きに出よう」とは思わなかったので、ずっと自分のことを自分で夫の下に置いている状態でした。

バリバリ稼ぎたい設定で生まれてきた

四柱推命を学んだ今なら分かるのですが、十二運星に【帝旺】と【冠帯】を持つ私は、「バリバリ働きたい設定」で生まれてきています。

物質的な満足感(物・お金)が大事な星です。

さらに、この2つの星は別名【王の星】と【女王の星】

自分の中に王と女王がいながら、自分を下に見ているわけです。

そりゃぁ卑屈にもなるよな〜と、今は思います。笑

王や女王がヘコヘコしていたら、本質とずれているので自分もモヤモヤするし、周りも違和感を感じます。

だんだんと夫婦仲が悪くなる

末っ子が生まれた頃には、もう自分自身に対する自信とか自尊心とかが、まるで無い自分になっていました。

 

長くなってしまったので、次(↓)に続きます…!

自分には何も無いと思っていた話【2】

サイト管理者:やなかえつこ
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